人生を生きるには、修練が必要です。
「まずまずの目的、過ち多き行為、ぐらぐらしている意志」のうちに人生をうやむやに過ごしてはなりません。”
”天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である。”
フローレンス・ナイチンゲール
「私ね、看護って『表現』だと思うの。」
という昔の上司(当時の病棟看護師長)の言葉を、仕事帰りにふと思い出した日がありました。
ラダー評価と業務の進捗状況報告を兼ねた
1対1の面談のなかでこれを言われ、
一瞬「?」となりましたが
看護師一人一人それぞれが持つセンスの違いで、患者さんへの実践は全く同じにはならないでしょう?とか、
そんな話だったと思います。
管理職者なので賛否はあったかもしれませんが、
私個人は良い上司に恵まれたなと
たまに思い出します。
「看護とは」という定義が気になって、
帰宅後看護学生の頃の教材だった看護覚え書(ナイチンゲールの著書)をクローゼットの奥から探し出し、Google検索しました。
「Nursing is an art」(看護とは芸術です)」という言葉でも表現されていましたが・・・
この人の名言がとても興味深くて
(以下抜粋)
「進歩のない組織で
持ちこたえたものはない」
「子を失う親のような気持ちで、
患者に接することのできない、
そのような共感性のない人がいるとしたら、
今すぐこの場から去りなさい。」
「今年で30歳になる。キリストが伝道を始めた歳だ。もはや子供っぽいことは終わり。
無駄なことも、恋も、結婚も。」
仕事にストイックで、真剣で、
純粋な人だったんだろうなぁとか、
こんな先輩と飲みに行ったら
「先輩、ほんと頑張り過ぎです、尊敬します、お疲れ様です。
でも一回くらい彼氏作ってみません?🍺」
って言っちゃうよとか、
勝手に妄想していました(笑)
近代看護の基礎を築いたこの偉人は、
ただただ自分の人生の一瞬一瞬を大事に、
真剣に、
誠実に
生きたんだなぁと思います。
”看護は表現”といつかの上司が言い、
ナイチンゲールは”art”と言いましたが
きっとどんな職業もどんなことも
(例えば子育ても)
”いのちの表現”で
”art”だなぁとも思うんです。
私は
ダンスのような動きは
とにかく苦手なのですが💧
ヨガをしている時はのびのびとしていられます。
看護師の仕事も、責任をもって務めることで
患者さんの力になれる、
これも私といういのちの表現です。
この世界に生きとし生ける全ての存在が、
それぞれの方法で命を表現している。
それこそがきっと幸せの形かなぁと。
そんなことを考えました。
皆さんの命の表現、あなただけのartは、
どのようなものですか?
話は変わりますが、
新型コロナウイルスの感染拡大の懸念はおさまらず、
不安や緊張を感じる今日この頃かもしれません。
とはいっても、
私は今日もいつも通り食事をして、
パソコンに向かいながらコーヒーを飲んで、
部屋の猫たちも
くつろいでいてくれました(ΦωΦ)
天気が良かったので部屋には陽射しが入り、
窓を開けると風が心地良い。
何気ないけれども、
今在る幸せだなぁと思います。
いつ何時どうなるかはわかりませんが 、
人生に試練はつきもの。
今こそ、直面している状況に向き合い前に進むために、皆が力を合わせるときであり、
ウイルスに関する正しい知識が
有効な対策の実践を可能にして
不安を解消してくれるはずです。
私たち一人ひとりが
正確で有益な情報を基に、
最善の手段、最善の方法を選択し実践することが、自分自身と身近に居る大切な人を守り、
ポジティブな祈りは伝播して、
世界を安全で平和な状態へと導くことにもきっと繋がる。
今感じること。
今ある幸せに気づくこと。
今できること。
今この試練を皆で乗り越えよう🍀✨