私たちが苦しみのさなかにあるとき、
落ち着いた心で理解し支えてくれる、
冷静かつにこやかな友人がいること、
これ以上の幸運はありません。
(中略)
慈しみ、思いやり、喜び、無執着のあるところには、
本当の喜びと幸せがあります。
喜びを感じながらもそれに執着しなければ、
幸福を人と分かちあい、
その悲しみや不安をやわらげることができるのです。
ティク・ナット・ハン著、山端法玄・島田啓介訳/ブッダの〈気づき〉の瞑想
(”気づきのエクササイズ”より)
私事ですが、5月の下旬から務めさせていただいている訪問看護のお仕事は、
利用者様のご自宅へ出向いて
必要な看護を提供するというものなので、
個々のニーズを知ることに始まり覚えることも多く、ちょっと忙しくしていました。
何件かお仕事で訪問させていただいた利用者様の中で、
「レビー小体型認知症」
という疾患の方がいます。
女性の患者さんで、
昨年の春ごろまではご主人が手を引いてお散歩する機会もあったそうですが、
この病が進行が速いという特徴を持つことと
他の疾患の発症の影響もあって、今は
ベッドから起き上がることはできない状態です。
ご自宅へ行くといつも
全身状態のチェックの後、床ずれの処置をさせていただくのですが、
体を横に向けたりお着替えする際、一人で出向く看護師を、いつもご主人か、息子さんが
お手伝いしてくださいます。
お薬の影響や副作用もあって、最近はお喋りできる時間が減ってきているけれど、
「母さん、傷の治療するよ。
痛いときは言っていいんだよ。大丈夫だからね」
と いつも声をかけながら。
「初めのころは
病気のことがわからなかったから、
図書館に行ったり、病院に受診に行ったときに病院内の図書館でね、自分でも調べたんです。
どういう風に家内に関わったらいいのか、
先生から聞くだけじゃわからないことも多かったから、
自分でも色々と勉強して、変えていったんです。」
と、まだ務めて間もない私に、
そう話してくださったことがありました。
手を引いて一緒にお散歩していた頃や、
ご病気になる以前の元気な姿も、
ついこないだのように思い浮かべて
孤独感を感じていたのかなと、
お話を聴きながらそう感じました。
思い悩まれることも、色々とおありかと思います。
どの患者さんにも言えることですが、
いつでも選択する権利は患者さんと
ご家族にあるものだと思いますし、
先生や、私たち看護師も、リハビリの先生も、
皆それぞれ、役割や視点は業種で異なりますが
皆沢山ついていますから
お父さんも孤独にならずに
一緒に頑張っていきましょう。
そんな風に
気が付いていたら言葉を返していて、
何処か頑なな印象のお父さんの目が
ちょっとだけ笑って、
少し心を開いてくれたような感じがあって、
帰りの車を運転しながら”良かったぁ”と、お父さんの顔を思い出していました。
ヨガのお仕事の方も
感染予防策を遵守しながらの営業再開。
元に戻ったというよりは、
これを機に
生活のリズムが変わり
世の中の物の考え方や価値観も、
また少しずつ変わっていくのかなぁと感じるからこそ、
自分自身を見つめなおす機会というのも
自ずと増えてきましたが、
人と関わる時間が、
こうして私に色々な気づきを与えてくれる。
マインドフルネス=過去や未来に意識を彷徨わせず、今という瞬間に意識を満たすこと。
走り続けていて、周りのものも自分も見えなくなっていたら、
立ち止まり、呼吸と体に戻ること。
瞑想の手法もこうして
現実を生きなければいけない私を
しっかりと導いてくれます。
私らしく活き活きと生きていくために、
スケジュールの調整や必要な栄養と休息をきちんととること含め、課題は色々残りますが・・・
今をどう生きるか、
自分の心と体に問いながら、忙しさや慌ただしさだけで自分を見失わずに
一瞬一瞬を大切に生きることを
忘れないでいようと思います🍀